朝の霧は眩しく。

"理想と現実" の "現実"側

選ばれないと主人公じゃない

「自分の人生を真面目に考えなさい」

何度この言葉を言われたかわからない。にもかかわらず、わたしの耳は母の言葉をうまくスルーするようになった。深いところに刺さると抜けなくなってしまうから、いつだって宙を見つめてやり過ごした。

「異常だ」と言われた。これだけ繰り返し言われているのに、なにかをしようと焦らないのは異常だと。それでもいいと思った。すぐ病気だとかなんとか言い出す母の言うことがどうでもよかった。でもいちばんは、自分のことがどうでもよかった。





“どんなに
つまんない
人生だって
私が主人公だし
私が金字塔”



これは、今年のミスiDのキャッチコピーのひとつ。ぜんぶで4つ発表されたのだが、わたしにはあまり合っていないような気がして、とても不安になった。


“人の人生を笑うな。”

“地球が
美しいとしたら
わたしが
あがいてる
おかげ”

“世界はひとつじゃない
ルールも
常識も
女の子も”


どのキャッチコピーも、率直に『自己肯定感が高い』なと思った。だって、主人公は選ばれた人しかなれない。選ばれないと意味がない。


たとえば、都内のキラキラしたJKはわかりやすく主人公だ。かわいい色のシャツやリボン、短いスカート。好きな色に髪を染めて、可愛いメイクをして生きている。わたしにはそれがなかった。楽しい高校生活だったが、テレビで活躍している子みたいな輝きは持っていなかった。


そして、わたしの人生は、笑われるよりも哀れに思われるか、気持ち悪がられるものだと思っているので、「笑うな。」という言葉はしっくりこなかった。もっとも、笑うな、なんて強い言葉を使えるほど、エネルギーに満ちた人生ではない。


また、わたしが地球レベルの規模でなにかを変えていることなんてひとつもないだろうし、いろんな世界があることは知っているが、わたしはそこには行けない。この「家」と「家族」。ちいさいちいさい世界から、抜け出すことはできない。


ハリーポッターと秘密の部屋みたいに、信頼出来る級友が、鉄格子のはめられた窓の向こうから助けにきてくれることはない。いつになったら外の世界から手紙が届くのだろう、と思ったが、そうだ。あれは「選ばれた子」にしか来ないのだった。



正直、これを書きながら不安でたまらなくなってきた。ミスiDはその年のキャッチコピーを大事にしているようにみえる。審査を受ける立場のわたしが、こんなマイナスなことを言うべきではないとは思っているが、なんだか「自己肯定感が高い」のが羨ましくなってしまった。


とはいえ、これは今のわたしの気持ちであって、あと少しでも自己肯定感が高まればまったく違う記事になっていると思う。だってほんとは「人の人生を笑うな。」のキャッチコピーが発表されたとき、勇気をもらえた気がしたのだ。笑うな、否定するな、わたしの人生はわたしのもので、誰かの好きにはさせない。そう思った。


自分のことがどうでもいいなんて、思いたくない。情熱を忘れたくはなかったし、いつでも前を見据えて生きていたかった。もっとエネルギーに満ち溢れて、世界を変えるとか、宇宙を切り拓くとか、大きいことに希望を持っていたかった。





それはそうと、相変わらず学校には行けない。近いうちに、死にたくなるほど怒られる。またわたしは何も言えない。なにもできない愚図で、期待してたのに裏切られて、親をなめていると言われる。


勝手にしろ、出ていけばいい。ほら、荷物まとめないの?ちょっと、頭おかしいんじゃない。病気だよ。好きなことだけで生きていけるわけがない。まさか、まだ夢とか見てるの?お前には無理だ。特別かわいいわけでもない、生活もだらしない!調子に乗るな。少し学祭でアイドルやってちやほやされたからって。正直あのレベルのダンスや歌ではね。演劇やってから感情の出し方おかしいよ、気持ち悪い。声優?そんなにやりたいなら大学に行かずに専門でも養成所でも行けばよかったじゃない!今更遅すぎる。少しは現実見ろ。



覚えている。傷つけられた言葉、ぜんぶ覚えている。

わたしが主人公の世界が、ここにあると思いますか?



でもほんとは、ミスiDとか関係なしに、わたしはわたしの人生を生きる方法を見つけなきゃいけなかったの、わかってるよ。


ただ、ちょっとだけ、認めてほしかった。わたしだけが悪い世界じゃないって、いつかここを出て広い世界に行けるって、目に見える可能性がほしかった。誰かに手をとってほしかった。





見たことのない景色、見てみたかった。