朝の霧は眩しく。

"理想と現実" の "現実"側

自責

「最近は……大学、行けてますか?」
白バックと多数の照明のせいで、審査員席はずっと暗く見えた。よく目にしてきたはずの顔が、薄ぼんやりとしながらそこにあったが、たった今聞かれたことが思考と視界に襲いかかってきて、一瞬でなにも見えなくなった。

「……行けてないです」
どのように言ったのかハッキリと思い出せない。でも、行けてないとは答えた。咄嗟に「逃げかもなって思ってはいるんですけど、今は、学校をやめてでも芸能活動がしたいなって思ってます」なんてことも付け加えた。

最初のわたしが正しい。逃げだ。

学校に行かなくていい理由が欲しい。仕方ないねと言われたい。どんな理由があれば親に許してもらえるのだろうか。そればかり考えていた。

大学を卒業した方がいいのはわかっている。当たり前だ。普通は卒業する。みんな卒業する。なのにどうしてわたしは学校に行けないのだろう。

同年代の目が怖い。みんなが友達と授業を受けているなかで、ひとりぼっちなのが怖い。下世話な好奇の目、笑い声、ひそひそ話、なにもかも自分を嘲っているように思える。みっともない、だらしない自分を。

仲のいい後輩は「アサギリさんは根が真面目だからそんな風に悩んでるんですね」と言ってくれたが、この状況で悩まない人種などいるのだろうか、そう思ってしまったくらいにごく当たり前に悩んでいた。



ミスiD2020のエントリーシートには多数の質問事項があり、そのなかで『これなら負けない!というものはありますか』という項目があった。人に誇れるようなことは思いつかず、卑屈に、でも本心で、わたしは「大学に行きたくなくて車の中で眠った回数」と書いた。

それは今もなお更新され続けている。最低でも6時間×週2回と、週1で9時間も家の外にいなくてはならない。毎回どこかに行ったりなにかをするお金はなく、ただひたすら車の中で眠る日がいくつもある。母が用意してくれた朝ごはんのおにぎり1つだけを持って、いつも15時か18時に帰宅する。

なにもしていないので、お腹はすかない。すいてはいけないという意識もある。なにもしていないくせに食べることはいけないことだと思っている。どうしてもお腹がすいた時はたまに食べるが、おいしくないし味もしないので、食べなくても変わらないなという結論に至る。



もうすぐ前期の授業が終了する。はじめは学校の裏の駐車場で眠っていたが、それも精神的にままならなくなり、次第に学校の近くのネカフェやゲームセンター、そして最終的には学校とまったくの反対方向にあるショッピングモール等の駐車場にいる。家から学校は遠く、車で45分ほどかかる。学校へ向かうことすら怖くなってしまった。


これからわたしは、必ず親から叱られ、親戚一同から呆れられ、自分を責める。そんなのわかりきっているはずなのにどうにもできない。逃げたくて芸能がしたいなんて言ってごめんなさい。ほんとうに芸能がしたい気持ちもあるけど、あのときの言葉は逃げでしかなかった。今日も学校にいけない、7時間経ってあと2時間しないと帰れない。ジョジョ五部がアニメ化して新劇エヴァが完結したら死んでもいいと思ってたから2020年まで生きたかったけど自信がない、8/1はわたしを生かしてくれるのかな