朝の霧は眩しく。

"理想と現実" の "現実"側

見渡す限り、空白

セミファイナリスト通過の発表まで、ちょうど1週間になった。審査委員長である小林司さんがかなり忙しそうで、ミスiD関連のツイートをするたびにわたしを含めTLが少し震える。不安が渦巻いている。

 

何回も、誰もが言っている通り、ミスiDは通過点に過ぎない。決してゴールではなく、みんなその先を見たくて必死に手を伸ばしている。でも、もしそれが自分にだけ許されなかったら、どうしよう。たかがオーディションだと言い聞かせていても、胸が苦しくなる。

 

しかし、たとえ受からなくたって悲観する必要はないのだ。わたしの人生が否定されるわけではない。そう、なんならたったひとつのオーディションに人生をかけようとするのが間違いなのだ。何度でもやり直しがきく、チャンスはいくらでもある。なんて、自分をむりやり納得させようと、自分ではない誰かの声が流れ込んでくる。誰なんだろう。

 

 

 

 

ミスiDは今年しか受けない。今年しか意味がないから。それ以上伸ばしてしまうと、きっといろんなものに取り残されるし、いろんなことをあきらめなくてはならなくなる。嫌で嫌で逃げ出した現実が迫ってくる。たぶんこれ以上向き合うことから逃げると、世界のどこにも居場所がなくなる。残された時間は少ない。

 

だから、ほんとうは受からなくてもいいのかもしれない。だって追い詰められないとなにもできないから。なくしてから気付く、典型的な、後悔する人間だから。

 

 

 

 

 

 

ああ。ほら、こうやってすぐ嘘が出てくる。そんなのいやだって思ってるくせに自分が悪いんだと思わないとやりきれないんだ。

 

 

 

 

 

 

わたしは素直になるのがへたくそだ。勇気もない。やりたいことをやりたいと言えたらどんなにいいだろう。なにかを恐れず、まっすぐに立ち向かえたら。胸を張って、わたしの人生は、わたしが主人公だと、言えたら。

 

 

自分に自信がなくて、いつも虚勢で乗り切ろうとする。虚勢は虚勢でしかないのに。それでもからっぽの心をむりやり動かし続けると、突然、なにかが切れたように、ぱたりと足が止まってしまう。

そうしてふと振り返ったときの景色は真っ白で、自分が一体どこにいるのかわからなくなる。なにを目指していたんだっけ。前を向きなおすと、その先もはてしなく真っ白だった。

 

 

 

 

 

 

こんな風にすぐ目的地がわからなくなってしまうのは、きっと、自分の人生を生きていないからなのだろう。見渡す限り空白の夢から目覚めると、わたしはいつも深い海の底にいる。

 

 

 

 

ずっと息苦しかった。寝ても覚めてもなにも見えなかった。暗くてなにも見えないか、なにもなくて見えないかの違いしかなかった。

 

 

射し込んだ光がおだやかに、水面できらめいている。いつからか、そんな光景に恋い焦がれている。

 

 

 

青く光る液晶の前で、両耳に流れ込む音を遠くに感じた。

胸の前で祈るように両手を組み、涙を流した日のことだった。