朝の霧は眩しく。

"理想と現実" の "現実"側

ありがとうございました。

わたしの不幸がだれかの娯楽になればいいなと言ったこともありましたが、やっぱり嫌です。
こうやって読んでくれている誰かにただ消費されるのは嫌です。わたしのミスiD2020

誰のためでもなくわたしのために 文章がちくはぐでもいいや




12時ぴったりに見ました。発表ページのひとつ前に、時間差ランダムであらわれる写真のバナーが貼ってありました。先に友達をみつけました。あの子も、あの子もいる……。わたしは?チェックの服を着たわたしは、ショートカットのわたしは。

じっくり写真を確認しました。見つけられないまま、発表ページにすすみました。もしかしたら。

50音順なのですぐにわかってしまう。
私の名前も写真もなかった。

呼吸が止まったまま、スクロールする指も止まらなかった。下へ、下へ。友達がたくさんいる。よく見かけるあの子もいる。アイドルやってる子だ、絵を描く人だ。わたしの2つ前に受けた人もいる。わたしの前に受けた人もいる。わたしの嫌いな人もいる。

時間感覚もなく、ただ、息をしているか確かめるように上下する胸を見ていた。早いのか遅いのか、どちらでもないのか、わからない。



悔しかった。
カメラテストにあまり悔いがなかったのが悔しかった。満足してしまったんだと思った。出し切れたから大丈夫だと思ったのが油断だった。

好きな子たちと同じステージにいられなくなったのが寂しくなった。今までの受賞者ともそう。悲しかった。人格が否定されるわけじゃない、そう理解していたはずなのに、その資格がないよと言われて、どうしたらいいかわからなかった。

素直におめでとうとかありがとうが言えない自分が嫌いになった。友達に対するおめでとう、の裏に羨ましい気持ちがあることに嫌になった。心から言いたかった。

嫌いな子が受かってるって思い方をしたのも嫌だった。きたない人間だと思った。

応援してくれたひとになんて言えばいいかわからない。ダサくてなにもいえない。



落ちても、やるべきことをやるだけとか、言える子も羨ましかった。やるべきことができないわたし、そもそもなにを目指していたのか?自分でも明確にわからないし、伝えきれなかったのも当然か。

いいなあ、受かりそうな子が受かったもん。受かりそうだなと思って悔しくてミュートしてた女の子たちが受かったもん。心のきたないわたしが受かるわけなかったんだなあ。

ごめんね、やさしいふりしてて。ぜんぜんやさしくなんてないよ。

ミスiDが人生の責任を負ってくれるわけじゃないって散々言ってきたのに、ちょっと、前が見えなくなってしまった。戻れないのも怖い。そして、わたしは、ただ学校に行けないひきこもりになっただけ。コンテンツとしてなり得ない、ただの根暗な一般人だ。

あー

死にたいとかはないけど人生の展望がなさすぎてむしろ絶望しかなくて息ができなくなりそうだな

海底の藻に絡まってろってことかもな

コンテンツになることで逃げようとしていたのが見透かされた、というかわかりきっていたことではあるけど、やっぱりそれじゃだめなのかもなあ。ミスiD2020を汚していたのはわたしの方か?

あーあミスiDなんか関係なく人生いきていかなきゃいけなくなった いやだからそういうのが良くなかったんだって

カリスマ性もなくただのTwitter芸人で悲劇のヒロインぶったブログ書いてるだけで受かると思ったか?馬鹿だなあ

もっと気合いいれてひとりで生きろよ





なんでもいいけど

受かりたかった

見渡す限り、空白

セミファイナリスト通過の発表まで、ちょうど1週間になった。審査委員長である小林司さんがかなり忙しそうで、ミスiD関連のツイートをするたびにわたしを含めTLが少し震える。不安が渦巻いている。

 

何回も、誰もが言っている通り、ミスiDは通過点に過ぎない。決してゴールではなく、みんなその先を見たくて必死に手を伸ばしている。でも、もしそれが自分にだけ許されなかったら、どうしよう。たかがオーディションだと言い聞かせていても、胸が苦しくなる。

 

しかし、たとえ受からなくたって悲観する必要はないのだ。わたしの人生が否定されるわけではない。そう、なんならたったひとつのオーディションに人生をかけようとするのが間違いなのだ。何度でもやり直しがきく、チャンスはいくらでもある。なんて、自分をむりやり納得させようと、自分ではない誰かの声が流れ込んでくる。誰なんだろう。

 

 

 

 

ミスiDは今年しか受けない。今年しか意味がないから。それ以上伸ばしてしまうと、きっといろんなものに取り残されるし、いろんなことをあきらめなくてはならなくなる。嫌で嫌で逃げ出した現実が迫ってくる。たぶんこれ以上向き合うことから逃げると、世界のどこにも居場所がなくなる。残された時間は少ない。

 

だから、ほんとうは受からなくてもいいのかもしれない。だって追い詰められないとなにもできないから。なくしてから気付く、典型的な、後悔する人間だから。

 

 

 

 

 

 

ああ。ほら、こうやってすぐ嘘が出てくる。そんなのいやだって思ってるくせに自分が悪いんだと思わないとやりきれないんだ。

 

 

 

 

 

 

わたしは素直になるのがへたくそだ。勇気もない。やりたいことをやりたいと言えたらどんなにいいだろう。なにかを恐れず、まっすぐに立ち向かえたら。胸を張って、わたしの人生は、わたしが主人公だと、言えたら。

 

 

自分に自信がなくて、いつも虚勢で乗り切ろうとする。虚勢は虚勢でしかないのに。それでもからっぽの心をむりやり動かし続けると、突然、なにかが切れたように、ぱたりと足が止まってしまう。

そうしてふと振り返ったときの景色は真っ白で、自分が一体どこにいるのかわからなくなる。なにを目指していたんだっけ。前を向きなおすと、その先もはてしなく真っ白だった。

 

 

 

 

 

 

こんな風にすぐ目的地がわからなくなってしまうのは、きっと、自分の人生を生きていないからなのだろう。見渡す限り空白の夢から目覚めると、わたしはいつも深い海の底にいる。

 

 

 

 

ずっと息苦しかった。寝ても覚めてもなにも見えなかった。暗くてなにも見えないか、なにもなくて見えないかの違いしかなかった。

 

 

射し込んだ光がおだやかに、水面できらめいている。いつからか、そんな光景に恋い焦がれている。

 

 

 

青く光る液晶の前で、両耳に流れ込む音を遠くに感じた。

胸の前で祈るように両手を組み、涙を流した日のことだった。

 

選ばれないと主人公じゃない

「自分の人生を真面目に考えなさい」

何度この言葉を言われたかわからない。にもかかわらず、わたしの耳は母の言葉をうまくスルーするようになった。深いところに刺さると抜けなくなってしまうから、いつだって宙を見つめてやり過ごした。

「異常だ」と言われた。これだけ繰り返し言われているのに、なにかをしようと焦らないのは異常だと。それでもいいと思った。すぐ病気だとかなんとか言い出す母の言うことがどうでもよかった。でもいちばんは、自分のことがどうでもよかった。





“どんなに
つまんない
人生だって
私が主人公だし
私が金字塔”



これは、今年のミスiDのキャッチコピーのひとつ。ぜんぶで4つ発表されたのだが、わたしにはあまり合っていないような気がして、とても不安になった。


“人の人生を笑うな。”

“地球が
美しいとしたら
わたしが
あがいてる
おかげ”

“世界はひとつじゃない
ルールも
常識も
女の子も”


どのキャッチコピーも、率直に『自己肯定感が高い』なと思った。だって、主人公は選ばれた人しかなれない。選ばれないと意味がない。


たとえば、都内のキラキラしたJKはわかりやすく主人公だ。かわいい色のシャツやリボン、短いスカート。好きな色に髪を染めて、可愛いメイクをして生きている。わたしにはそれがなかった。楽しい高校生活だったが、テレビで活躍している子みたいな輝きは持っていなかった。


そして、わたしの人生は、笑われるよりも哀れに思われるか、気持ち悪がられるものだと思っているので、「笑うな。」という言葉はしっくりこなかった。もっとも、笑うな、なんて強い言葉を使えるほど、エネルギーに満ちた人生ではない。


また、わたしが地球レベルの規模でなにかを変えていることなんてひとつもないだろうし、いろんな世界があることは知っているが、わたしはそこには行けない。この「家」と「家族」。ちいさいちいさい世界から、抜け出すことはできない。


ハリーポッターと秘密の部屋みたいに、信頼出来る級友が、鉄格子のはめられた窓の向こうから助けにきてくれることはない。いつになったら外の世界から手紙が届くのだろう、と思ったが、そうだ。あれは「選ばれた子」にしか来ないのだった。



正直、これを書きながら不安でたまらなくなってきた。ミスiDはその年のキャッチコピーを大事にしているようにみえる。審査を受ける立場のわたしが、こんなマイナスなことを言うべきではないとは思っているが、なんだか「自己肯定感が高い」のが羨ましくなってしまった。


とはいえ、これは今のわたしの気持ちであって、あと少しでも自己肯定感が高まればまったく違う記事になっていると思う。だってほんとは「人の人生を笑うな。」のキャッチコピーが発表されたとき、勇気をもらえた気がしたのだ。笑うな、否定するな、わたしの人生はわたしのもので、誰かの好きにはさせない。そう思った。


自分のことがどうでもいいなんて、思いたくない。情熱を忘れたくはなかったし、いつでも前を見据えて生きていたかった。もっとエネルギーに満ち溢れて、世界を変えるとか、宇宙を切り拓くとか、大きいことに希望を持っていたかった。





それはそうと、相変わらず学校には行けない。近いうちに、死にたくなるほど怒られる。またわたしは何も言えない。なにもできない愚図で、期待してたのに裏切られて、親をなめていると言われる。


勝手にしろ、出ていけばいい。ほら、荷物まとめないの?ちょっと、頭おかしいんじゃない。病気だよ。好きなことだけで生きていけるわけがない。まさか、まだ夢とか見てるの?お前には無理だ。特別かわいいわけでもない、生活もだらしない!調子に乗るな。少し学祭でアイドルやってちやほやされたからって。正直あのレベルのダンスや歌ではね。演劇やってから感情の出し方おかしいよ、気持ち悪い。声優?そんなにやりたいなら大学に行かずに専門でも養成所でも行けばよかったじゃない!今更遅すぎる。少しは現実見ろ。



覚えている。傷つけられた言葉、ぜんぶ覚えている。

わたしが主人公の世界が、ここにあると思いますか?



でもほんとは、ミスiDとか関係なしに、わたしはわたしの人生を生きる方法を見つけなきゃいけなかったの、わかってるよ。


ただ、ちょっとだけ、認めてほしかった。わたしだけが悪い世界じゃないって、いつかここを出て広い世界に行けるって、目に見える可能性がほしかった。誰かに手をとってほしかった。





見たことのない景色、見てみたかった。

自責

「最近は……大学、行けてますか?」
白バックと多数の照明のせいで、審査員席はずっと暗く見えた。よく目にしてきたはずの顔が、薄ぼんやりとしながらそこにあったが、たった今聞かれたことが思考と視界に襲いかかってきて、一瞬でなにも見えなくなった。

「……行けてないです」
どのように言ったのかハッキリと思い出せない。でも、行けてないとは答えた。咄嗟に「逃げかもなって思ってはいるんですけど、今は、学校をやめてでも芸能活動がしたいなって思ってます」なんてことも付け加えた。

最初のわたしが正しい。逃げだ。

学校に行かなくていい理由が欲しい。仕方ないねと言われたい。どんな理由があれば親に許してもらえるのだろうか。そればかり考えていた。

大学を卒業した方がいいのはわかっている。当たり前だ。普通は卒業する。みんな卒業する。なのにどうしてわたしは学校に行けないのだろう。

同年代の目が怖い。みんなが友達と授業を受けているなかで、ひとりぼっちなのが怖い。下世話な好奇の目、笑い声、ひそひそ話、なにもかも自分を嘲っているように思える。みっともない、だらしない自分を。

仲のいい後輩は「アサギリさんは根が真面目だからそんな風に悩んでるんですね」と言ってくれたが、この状況で悩まない人種などいるのだろうか、そう思ってしまったくらいにごく当たり前に悩んでいた。



ミスiD2020のエントリーシートには多数の質問事項があり、そのなかで『これなら負けない!というものはありますか』という項目があった。人に誇れるようなことは思いつかず、卑屈に、でも本心で、わたしは「大学に行きたくなくて車の中で眠った回数」と書いた。

それは今もなお更新され続けている。最低でも6時間×週2回と、週1で9時間も家の外にいなくてはならない。毎回どこかに行ったりなにかをするお金はなく、ただひたすら車の中で眠る日がいくつもある。母が用意してくれた朝ごはんのおにぎり1つだけを持って、いつも15時か18時に帰宅する。

なにもしていないので、お腹はすかない。すいてはいけないという意識もある。なにもしていないくせに食べることはいけないことだと思っている。どうしてもお腹がすいた時はたまに食べるが、おいしくないし味もしないので、食べなくても変わらないなという結論に至る。



もうすぐ前期の授業が終了する。はじめは学校の裏の駐車場で眠っていたが、それも精神的にままならなくなり、次第に学校の近くのネカフェやゲームセンター、そして最終的には学校とまったくの反対方向にあるショッピングモール等の駐車場にいる。家から学校は遠く、車で45分ほどかかる。学校へ向かうことすら怖くなってしまった。


これからわたしは、必ず親から叱られ、親戚一同から呆れられ、自分を責める。そんなのわかりきっているはずなのにどうにもできない。逃げたくて芸能がしたいなんて言ってごめんなさい。ほんとうに芸能がしたい気持ちもあるけど、あのときの言葉は逃げでしかなかった。今日も学校にいけない、7時間経ってあと2時間しないと帰れない。ジョジョ五部がアニメ化して新劇エヴァが完結したら死んでもいいと思ってたから2020年まで生きたかったけど自信がない、8/1はわたしを生かしてくれるのかな

胸を張って

カメラテスト、ありがとうございました。

なにを話せばいいか、まったく思いつかなくて焦っていたのですが、直前になっていいこと閃くタイプなので当日の自分に任せていたらなんとかなりました。

やっぱり、核となっているのは両親に認めてもらいたいということ、そして「人に寄り添えるひとになりたい」ということで、そのお話をしました。

ここでは、カメラテストまでの話をします。



この4日間、単身赴任をしている父の家に泊まっていた。とはいえ、父は土日が出張で不在だったため、初めて行く父の家で悠々と過ごしていた。

わたしが泊まりにいくということで張り切った父は、自転車に乗ってわたしの布団を買いにいき、わたし用のシャンプー類、バスタオルまで用意してくれていた。冷蔵庫にはペットボトル飲料、自分が飲まないチューハイまで用意し、カップ麺やお菓子なども買っておいてくれていた。それはもう、至れり尽くせりだった。

金曜日の夜、父と外で食事をした。4月からの単身赴任なので家を出てから日は浅いが、わたしが両親と話すのを避けるような生活をしていたため、2人でじっくり話すのは久しぶりだった。
正直、怖かった。自分にとって都合の悪い話をされること、そうなると泣くか黙るかしかできなくなること、お父さんを困らせること。だがその夜は家族のたわいない話をして終わった。平和で、楽しい時間を過ごせたわたしは嬉しくなった。

父が仕事に出かけた後、起きてテーブルを見たら「ご飯代だよ」と書かれたメモに5000円札が挟まっていて、あまりの過保護具合にびっくりしつつも、照れくさい気持ちになった。

さて、わたしは今回の遠征理由を「就活」にしていたため、カメラテストの前日、むりやり就活イベントへ行き、なんの成果もなく家に帰った。
父は「やりたいことがわからないから、あんまりピンとこなかったんでしょ」と、優しいような、堅苦しいような声色でそう言った。わたしは、んー。と微妙な返事をして、案の定なにも話せなかった。

やりたいことはある。両親に話したこともある。でもそれは諦めさせられたし、まるでなかったことになっているようだ。母も先日「やりたいことはなんなの?」と聞いてきた。「まさか。あんたまだ……」とも言っていた。そのまさかだし、それしかありえなかった。

その夜は父の一方的な話に終わり、文字通り涙で枕を濡らしながら眠った。


そしてカメラテスト当日。わたしより早く家を出た父からの置き手紙があった。
『うまく相談に乗ってあげられなくてすまんね。またおいで』と書かれた紙に、また5000円札が挟まれていた。

涙が溢れた。いまも涙が出るし、家で出発の支度をしているあいだ何度も思い出して泣いた。

期待に応えられないことへの申し訳なさ、父の優しさ。自分の不甲斐なさ。もうとにかく申し訳なくて、ずっと泣いていた。


でも、今日は「胸を張って、お父さんとお母さんに、これがわたしの仕事だと言えるようになりたい」と、カメラの前で宣言をしにきたのだ。わたしのやりたいことは変わらない、変えられない。

父と母が嫌いなのではない、ただわたしの生き方を認めてほしい。その先で、心から2人に恩返しがしたい。

それから、今までのわたしが救われてきたように、わたしも他人を救える人になりたい。役者として芝居をしたり、歌をうたったり、文章を書いて、ひとりじゃないよってみんなに言いたい。わたしがいるよって、そのために伝播する存在になりたい。

願わくは、宇宙への片道切符の先に、わたしの世界がありますように。ミスiDという宇宙の向こうは、まだ見えない。

ありふれている

少しだけ、自分を特別だと思っていた。
幸せな人とは違う、かといって不幸な人とも違う、それでいて普通ではない人生だと、ちょっぴり驕っていたところがあった。

でも実際は、わたしが書く文章も、経験してきた幸せも不幸せも、ありふれていた。


『共感』で人を救いたいと思っていた。20数年の人生のなかで、幾度となくわたしが救われてきたから。それもただの共感ではなく、世の中では少数派と言われるような感情。周りを探しても、わかってくれる人は少なかったし、理解者が現れても、それはわたしがその絶望を経験したずっと後だった。わたしは得意げになってアドバイスをした。

そんな自分は珍しく、特別な存在だと思っていたけれど、本当はありふれていた。わたしの世界が狭いだけだった。ミスiDをはじめとするインターネットの海には、同じようなことで悩み、苦しみ、絶望するひとがたくさんいた。


突然、共感するのが嫌になった。その気持ちはわたしだけの特別だと思っていたから。ぼんやりと「似たような人はいっぱいいるだろうな」と思ってはいたけど、いざ目の当たりにすると、ああ、なんだ、特別でもなんでもない、わたしの人生は普通で、普通以下で、くだらないものだなと感じた。

特別だと思っていた反面、特別ではないという諦めもいつもどこかにあった。だってわたしはキラキラ輝くアイドルでもないし、頭のいい作家でもないし、ただひたすら、どこにも行けない人間だと。

それでもこの人生は、わたしが嫌うような『普通』ではないと思い続けていた。


ミスiD2020にエントリーしてから、自分の人生を考えることが多くなった。元々こういったことはよく考える方だが、時期もあいまって、毎日色んなことを考えている。
昨日否定したかった気持ちを、今日はなんだか受け入れられていたり、昨日まで受け入れていた気持ちを、今日はできない、になっていたりする。

だから明日になればまた、わたしの人生はわたしのもので、特別で、尊いと思えているかもしれない。ただ今日は無理な日だったという記録を、ここに残して眠る。

生まれなかった弟

わたしはよく、「しにたい」と言う。「しにたい」は「しあわせになりたい」の略だと言う人がいるけど、つくづくその通りだなと思う。幸せに生きたいのにそれができないので、命を手放した方が楽に思えてくる。

しにたい瞬間は今までいくつもあった。歳と共にしにたいを重ねすぎて、以前よりも現実味を帯びてきたように思う。『絶対に断線しない』が売り文句の丈夫な充電コードを、なんとなく首に巻き付ける日がある。死に迫る実感が湧く。怖くて手を緩める。しにたいをもっともっと重ねたら、いつか先に進んでしまうのだろうか。

そんなことがたびたび起こる毎日のなかで、ふと、あることを思い出した。生まれなかった命のことだ。生きたくても生きられなかった人がいる、という話ではなく、わたしの家族の話だ。

わたしには6つ違いの妹がいる。母の姉と妹は、わたしの妹が生まれる前にすでに2人ずつ子供をもうけていた。従姉妹が多いなかでわたしは一人っ子だったので、ずっと弟妹がほしかった。妹が生まれたときは、これでやっとおままごとの相手が見つかった!と喜んだ。妹が成長する頃には、わたしはもうおままごとなんて遊びから卒業していたのだが。

妹が生まれたあとだったか、その前だったかまでは覚えていないが、母にこんな話をされたことがある。
「実は、エリには弟がいたけど産めなかったんだ」
初めて聞く話だった。幼かったわたしは、母の変化に全く気がつかなかったし、そもそも何年前の話なのかもわからない。どうにも実感がわかなくて、ただ「そうなんだ」とだけ返した。

何故だか、最近になって急にこの話を思い出した。生きたくても生きられない人がいる、というのは、理解はしていても実感のない話だった。けれど、生まれなかった自分の弟のことを考えたら、途端に涙が溢れた。たぶん、名前もないしお墓もないけど、わたしが彼のことを覚えてる限りしんじゃだめだと思ったし、覚えてるためにしんじゃだめだと思った。それこそ形にはなれなかったし、実体のないことに責任を感じなくてもいいのかもしれない。だれに強要されたことでもない、わたしが生きていけるように都合のいい存在にしてるだけなのかもしれない。それでも、弟がいたことを知ってるのに、生きてることを無駄にしちゃだめだ。

わたしはわがままだし、恥ずかしいことにまだ幼いから、妹にも姉らしくしたことがあるって自信ないけど。子供の可能性を潰さないで、生きたいように生きられる世界にするのが夢だから。ちいさいときの自分に……いや今もずっとだけど……世界はつらいことばっかじゃないよって教えてあげたいから!とりあえずそういう大人になってから、しぬこと考えようかなって思った。あと2日で誕生日です!