朝の霧は眩しく。

"理想と現実" の "現実"側

雑談

どれだけストレスを溜めればおかしくなれるのか?いつからかは分からなくなってしまったが数年前からずっとずっと考えている。
どうしておかしくなりたいのか?今のわたしがおかしいと言われて楽になりたいからだ。もっとも、きっと、親がそれを望んでいる。でなきゃ子供に「病気だ」なんて言えない。わたしがおかしいから病気の方が都合がいいのだ、どちらにとっても。


確実にこの数年怒りっぽくなった、というか、激情を晒すようになった。親は突然変わったわたしを「演劇をやったからだ」と非難する。演劇までも非難する。たしかに演劇をやったことでわたしの暗く閉じこもっていた心は開かれた。感情を素直に出せる喜びを知った。けれどそれだけが理由じゃないし、わたしの人生ともいえる大切なものを悪く言ってほしくない、1ミリたりとも、絶対に。

最近はないが、わたしは親に叱られるたびに叩かれて育った。べつに虐待のレベルではないけれど、その行為はわたしを歪ませた。親が手を宙に振り上げるだけで怖い。からだは縮こまって既に涙は溢れ出している。大声でしゃくりあげながら泣く。中高生になってからはこのままやられていてはダメだと思い、大声でやめろと叫ぶようになった。近所に聞こえるように。このときから既に激情的な反抗は始まっていた。


もう限界に近いのだ。20年も抑圧され、過度に干渉され、怒鳴られて、手を上げられて、わたしに価値がないと思わされるのが。世間からみたわたしは愚かで恥ずかしく、親戚に顔向けができないと言われるのが。夢を馬鹿にされ、お前には無理だ、調子に乗るなと否定されるのが。常に見張られ、監視の目をかいくぐり生活してもバレては嘘をつくなと怒られる。家からは出られない。車の鍵をとられることもあるし、スマホとPCを取り上げるなんて10年ほど前からいつものことだ。小学生のときはゲームも取り上げられたな。そうやって外界と切り離され、ストレスの溜まる家で過ごし、部屋に篭れば電気代がもったいないからやめろと言われる。Twitterが知らないうちに監視されていたこともあった。以来ずっと鍵をかけている。これも今年で9年か10年目。ガラケーの時代はメールも監視されていて、友達との会話にいちいち文句をつけられた。学校でやりとりした手紙もカバンに入れていれば見られた。なにもかもを隠さなくてはいけなくなった。


怒られる理由は様々だ。もちろんわたしが悪いこともある。でもそれだけじゃない。1から10までわたしの行動にケチをつけたがるのだ。行き過ぎた干渉。褒められることはほとんどない。覚えていない。常に他人と比較される。

4歳か5歳の頃、大きな公園で母とバドミントンをした。あまりうまくできなかった。母は「あっちの子はうまくできてるのに、どうしてあんたは」と言って遊ぶのをやめた。ベンチに座って泣いた。見かねた父がやってきたので、勇気をだして「どうしてお母さんはわたしを人とくらべるの」と聞いた。母のことを悪く言うようでとても勇気のいることだった。父は「そういう人だからね」とだけ言った。いちばん古い、両親への絶望の記憶だ。

掘り起こせばいくらでもある。わたしは今日母にいわれて夕食のハンバーグを作ったが、昔は料理をさせてもらえなかった。「お前がやると時間がかかってめんどくさい」から。それから家では家事をあまりしたことがない。邪魔になるから。祖母の家で作らせてもらえるハンバーグが楽しかった。めんどくさいと言われない、邪険に扱われないでつくる料理。ハンバーグはわたしの得意料理だ。

そういえば、料理をしているときもいちいち口を出してくるので、今日もわたしはビクビクしながら、なにをしているか見られないように料理をした。いつものことだ。

単身赴任の父が帰ってくるから、と作らされたが、父が帰ってきてそれを食べる前にわたしと母の間で一悶着あったので、たぶん父はわたしがハンバーグを作ったことを知らない。父がご飯を食べているリビングには居合わせたが、母の手前、なにも話すことは出来なかった。妹が「愛情入りすぎてめちゃくちゃデカいじゃん」と茶化した大きいハンバーグ。褒めて貰えると思ったのにな。



怒っているのか、恨んでいるのか、愛情を渇望しているのか、すべてなのか。わからない。親に感謝する日もちゃんとある。育ててもらった恩を返したい気持ちがないわけではない。子は親を嫌いにはなれない。もう自分がどうしたらいいのかわからない。

今はずっと進路のことで親と争っている。大学を出てから役者やモデル等の仕事に就きたいわたし。大学まで通わせてやったんだからちゃんとした仕事に就いて金を返せという両親。言い分はわかるが、わたしの夢に一切聞く耳を持たない。大学を出たのにそんな不安定なことはさせられないらしい。いつまでわたしの人生に干渉してくる気だろう。心配してくれてるのはありがたい(と言わなければならないような気がして言っている)が、わたしの言い分を無視してすべてを批判して馬鹿にして馬鹿にして馬鹿にする必要がどこにあるのか?

少なくとも10年は意識してこういった親との問題に悩まされ続けている。もうとっくに大人なのに、ずっと大人になれないわたしにうんざりする。ずっと子供のわたしがいる。認められたい、愛されたいわたしが。一刻も早く親元を離れなければならないのは重々わかっている。まぁ家を出たいといえばまたそれも批判されお前に一人暮らしができるわけないだとか家での生活を改めて認められるようになってから言えとか言われるわけだが。
一生出口がないように思えて毎日毎日病気だよわたしは。